大変だ、融資がおりない。確実視していたB銀行だっただけに、その現実は私たちに重くのしかかってきた。のちに聞いた話であるが、保証会社の融資決定直前に路線価発表があり、マンション予定地の地価が下落。結果、担保不足という判断があったそうだ。なんという間の悪さ、もう一週間決裁が早ければ融資はOKだったのに。さすがに楽天家の私も落ち込んだ。もう打つ手なしか。
でも「やっぱり夢だったのね」で終わるにはあまりにも惜しい。いい出会いがあり、せっかくここまで頑張ってきたのに。私はもうひと踏ん張りすることにした。自己資金を叔父に無理を言って倍に増額。そして、一番最初に相談に訪れたある大手住宅メーカーの営業マンを決死の覚悟で再訪した。実は、以前せっかく熱心に相談に乗ってもらっていたのにも関わらず、提示されたプランが気に入らないと断った経緯もあり、顔を合わせにくかった。しかし最後の可能性をここに賭けるしかない。C氏は変わらぬ笑顔で迎えてくれた。
結果は大逆転満塁ホームランだった。建設工事だけでも受けてくれるというのである。もちろん提携融資付きだ。早速石橋氏に連絡。細かい打ち合わせは専門家同士に任せることに。こうして「THEマンション計画」は、すんでのところで幻とならずにすんだ。1998年も残すところ数日の12月末のことであった。
それから半年後の1999年5月に着工、翌2000年の3月にマンションは無事竣工した。完成したマンションを見上げる時、なんだか現実とは思えない不思議な感覚をおぼえる。「意外に簡単やったなぁ」と「エライことをしてしもた」という気持ちの交錯。嬉しいのはもちろんだが、多額の借金を背負い30年間ローンを返し続けることへの不安もあり、責任もある。
そんな時2年前はじめて会った石橋氏の印象的な言葉を思い出す。「一つの建物からでも街並みを変えていくことができるのですよ。そんなマンションを建てましょう」。
これからはオーナーである私たちがこの石橋氏の思いを引き継ぎ、入居者のみなさんとともに大切にこのマンションを守っていくことが、一つの素晴らしい建物を授かった私たちの責任だと考えいる。「THEマンション計画」は、創逢が存在する限り永遠に続くのだ。
最後に、素敵な出会いを作ってくれた「カーサウエスト」編集部のみなさん。作品の素晴らしさはもちろん、事業としての賃貸マンション計画成功にも助力をいただき、プロとしての力を見せつけてくれた石橋氏をはじめ石橋清志建築設計事務所スタッフのみなさん。危機一発で救いの手を差し伸べ、資金面でのバックアップをしてくれた住宅メーカー様。そして、この「THEマンション計画」の実務をすべて仕切ってくれたわたしの夫。私の思いつきでしかなかったフワフワした夢を現実のものにしてくれたのは、計画遂行のキーパーソンとなってくれた彼のおかげでもある。
この中の誰ひとり欠けていても今回のマンション計画の成功は無かっただろう。それほどこの数々の出会いは運命的であり、私にとっては僥倖とさえ思えるのだ。
「みなさん、ありがとう。そしてこれからもよろしく」
written by 桑平真由子