大阪南のターミナル駅から歩いて15分。十年ほど前までは小さな町工場が多かったこのあたりにも最近マンションが増えてきている。祖母の持つ100坪足らずの土地には数年前迄父が営んでいた製本工場がそのまま残っていた。「いずれは孫のものになればいいから」という祖母の思いもあり、ただ眠らせておいた土地である。しかしその孫の一人である私はひそかに考えていた。
この工場は祖父母や父母、そして叔父が大変な思いをして守ってきたものだった。遠い将来私たちのものになることより、その苦労してきた人たちが今何らかの恩恵を受けなければ意味がないのではないか。叔父以外はすでに年金暮らし。日々の生活に少しはゆとりを持ってもらえるようこの土地を活用すべきではないのか。
この物語はそんな思いをいつの日からか持つようになった親孝行(?)で超楽天家の私が、念願のマンション建設に成功するまでの実録記である。
一時父母たちはこの土地を売ろうと考えたこともあったようだが、バブル以後売れる見込みはまったくなかった。そうしている間にも祖母も父母たちも年老いていく。「これではイカン」と焦った私が思い立ったのが賃貸マンション建設計画だ。
「自己資金はほとんどなし。それでもローンが組めて家賃収入も残れば」というなんとも虫のいい無謀な計画である。
すぐに情報収集が始まった。思い込むとガッーと行くタイプである。反面あきるのも早いのでスピードが命だ。とにかく「成る話」か「成らない話」か、そのめどだけでも早くつけたかった。
住宅メーカー、デベロッパー数社に片っ端から土地活用の資料請求をした。反応はさまざま。なかなか資料が届かない会社、すぐに営業から電話が来た会社、最後までなしのつぶてだった会社。その中で一番早く反応してくれた大手住宅メーカーA社に相談することになった。営業マンの感じが一番良かったのもこの会社だった。 数日後、私はまるで体験学習に行く小学生のように興味津々ウキウキ気分で巨大にそびえ立つA社本社ビルの高層エレベーターの中にいた。ビルの立派さとその高さに舞い上がっていた私だが、このA社との出会いが数ヶ月後大きな意味を持つことになるとは、この時知るはずもなかった。 こうして「THEマンション建設計画」はスタートした。
written by 桑平真由子